「雪っ娘」誕生物語・その7

活動を続けていると、研究会の取り組みがマスコミなどに取り上げられる機会が多くなりました。

研究会のメンバーは合併反対の人がほとんどでしたが、政治的な圧力があり、いくら設立総会の申し合わせで、じゃがいもとかぼちゃの両方に取り組むということで活動しても、「イータテベイクじゃがいも研究会だから、イータテベイク以外のかぼちゃに対する補助金は一切認めない」と言われました。

活動に関する事は役場の職員も当然一緒にやって来た訳ですから理解してくれてると思っていましたが、ダメでした。納得いかない私は会長の立場から、活動の事で不明な所があれば私がキッチリと説明しますからと言いましたが、ダメでした。

でも、研究会のメンバーはそんな事に屈する事なく、村祭りなどにドンドン出てPR活動を続けて来ました。他の研究会はそれまで出る事はありませんでしたので、何故こんなに一生懸命やっている私達がそのような圧力をかけられるのか!と理不尽な仕打ちに納得いかなかった時期もありました。

この頃から打たれ強くなったのかもしれません。そして、迷ったら原点に返れ!といつも教えられて来たからでしょうか、工程分解をして自分に置き換えて考えるようになっていたのです。

こうして研究会のメンバーと五年間飯舘村での活動を続けて来たのでした。この時、まさか原発事故の災害で全村避難生活になるとは勿論、想像もできませんでした。